【感想】舞台『FORTUNE』

何か面白そうな舞台ないかな?と思った僕は、普段テレビでしか見ない女優さんの舞台は観れないか?と思い「○○(女優さんの氏名) 舞台」でググってみることにした。

僕にとってテレビの中の存在である女優さんで一番好きな『吉岡里帆』さんの舞台出演がないかと調べたところ、ある舞台がヒット。

それが舞台『FORTUNE』

「吉岡里帆ちゃんを生で観れる!!」と僕はテンションが上がりながら、吉岡里帆さんを生で観たいだけの不純な動機で『FORTUNE』を観に行くことになった。

しかし、吉岡里帆さんの芝居もさることながら、森田剛さんと田畑智子さんの芝居にもすっかり心を奪われてしまい大満足だったので、本記事に感想を書いた。

※ネタバレありなので、見たくない方はブラウザバックを推奨します。

 

スポンサーリンク

開場〜開演

会場の様子

テレビ局などからお祝いの花が贈られていて、有名な俳優の舞台を観ることを実感。

客層

V6の森田剛さんが主演なので、女性客がほとんど。

男性も見かけたが、全体の1割くらいだろうか。

舞台

開演前に見える舞台上は暗く、1つの台みたいなものだけを確認できた。

(開演後にその台が冷蔵庫だとわかった。)

 

感想

印象に残った場面を中心に振り返りながら、感想を語る。

あらすじ

原作はドイツの文人ゲーテの代表作とされる長編の戯曲『ファウスト伝説』であり、『ファウスト伝説』を現代のイギリスに置き換えた物語が、この『FORTUNE』である。

主人公のフォーチュンは、映画監督として成功を収めているものの、幼い頃に父親に捨てられたことから喪失感を抱えて生きており、若きプロデューサーのマギーに好意を抱くが、彼女は既婚者。

悲しみを抱き続け、かつ欲しいものが手に入らないフォーチュンは、知り合ったルーシーという女性と、ある契約を結ぶ……

悪魔に魂を売り、欲しいものは何でも手に入るも、虚しさだけが残り最期を迎え、地獄に堕ちる男の凋落を描いたストーリー。

 

第1幕

PARCO劇場、すごく綺麗で良いな……と思っていたら、舞台上は1台の冷蔵庫と散らかったダイエットコーラの缶のみの殺風景な光景であった。

開演からしばらくは、フォーチュンとマギーのやり取りが続く。

シンプルな舞台上で繰り広げられる芝居を観るのは初めてだから新鮮。

奥の大きい引き戸からは高層ビルやクラブ、花屋などのシーンに移り変わる演出の舞台装置として使われていた。舞台鑑賞を始めて間もない僕には「こんな舞台転換もあるんだ」と感心した。

大きい引き戸を開けると何かが出てくる演出、地味にワクワクしたかもしれない。

 

第1幕で印象に残った場面は3つ。

まず印象に残ったのは、フォーチュンがマギーにブローチをプレゼントしようとしたものの、断られた場面。

相手が既婚者なのはわかっているが、好意を伝えたい気持ちが結局空回りしてしまう。

流石に同じシチュエーションはないが、男性なら、なんとなく感情移入してしまうシーンだった。

 

ルーシーと知り合い、誘われるままに、自分のしたいことは全部叶えることができる「悪魔の契約」をする場面は、我々に「身近なところに、甘い誘いがある」ことを再認識させる。

『FORTUNE』は戯曲がベースの作品なので「悪魔に魂を売る」表現がなされているが、ある意味「悪魔に魂を売ると、一時的に快楽を得られるが、あとで身を滅ぼす」ようなものは、我々の日常に潜む。

何気ないところから、1人の人間の凋落が始まる。

『ファウスト』は16世紀の伝説だが、現代にも通じる人間の本質を突いている。

社会・テクノロジーは、人間の手により発達し続けているが、人間の根底にあるものは何も変わっていないらしい。

 

悪魔に魂を売った結果、思いを寄せるマギーの夫がまさかの事故死。

フォーチュンはマギーと交際することになったが、マギーの夫の事故死にルーシーに激怒。

ここまでのフォーチュンは、まだ人間としての尊厳が少しだけ残っていたのかも。

しかしここから、フォーチュンの狂気じみた行動がいかんなく表現され始めることになる。

 

第1幕のラストはアメリカのロサンゼルスで映画を売り込むシーン。

満を持して持っていった脚本を売り込み先のお偉いさんに否定され続け、マギーの喋り方もバカにされていることに対し、フォーチュンは何も言葉を発していなかったが、ついにキレて悪魔との契約の力で、相手を意のままに操り始める。

人をヤギに変え、人の体を勝手に踊ってしまうようにして、挙げ句の果てには「主演はチャーリー・チャップリンがいい!!」と言い、故人であるチャーリー・チャップリンを生き返らせ、自分の映画の主演にする光景は「カオス、混沌としている」だけの言葉では表現できないほどの狂気じみたシーンだった。

 

第2幕

第2幕の始まりは、アメリカのロサンゼルスから変わっていないが、第1幕の悲惨な光景が終わった場面から。

第1幕の恐ろしい光景を目の当たりにしたマギーは、フォーチュンを問い詰める。

フォーチュンはルーシーと「ある契約」を結んだことを告白。

その言葉から、マギーは夫の事故死の原因に気付き、フォーチュンに激怒。

フォーチュンはそんなマギーを無理矢理、悪魔の力で服従したが、悪魔の力でマギーを振り向かせていることに虚しさを感じ始めた。

マギーに対し干渉しなくなったフォーチュンは、マギーに別れられる。

これはフォーチュンの凋落の始まりに過ぎなかった。

 

マギーと別れて数年間が経ち、虚しくなったフォーチュンは「悪魔との契約」をやめようとするが、ルーシーにやめさせてもらえず、虚しさに苦悩し続ける。

亡くなった父を蘇らせて知ったのは、死後の世界の虚しさ、そして悪魔に魂を売った人間が地獄に行く真実。

そして悪魔から逃れようとするフォーチュンは、警察に刑務所に入れてくれとせがむ。

しかし、その場面にもルーシーが現れ、警察には見えない悪魔に怯えるフォーチュン。

そして刑務所に入るために、またもや悪魔の力で、警察を射殺したことにされる。

これら一連のフォーチュンの凋落ぶりが、クライマックスの独房でのシーンを、最高に引き立てていた。

 

悪魔の力で堕ちるところまで堕ちたフォーチュンの最期は、これまでの凋落と相まって最高の終わり方であった。

(後述の「キャストごとの感想」にて、詳しく記載。)

 

キャストごとの感想

フォーチュン (森田剛さん)

映画監督として成功を収めているはずなのに、心に隙間があり寂しげな感じ。

第1幕ラストで悪魔の力を意のままに使う狂いよう。

第2幕で悪魔の契約に虚しさを感じる姿。

死ぬ前に唯一フォーチュンの更生を望む母親との会話、そして死ぬ直前……

フォーチュン役の森田剛さんの芝居は、どのシーンもフォーチュンの心理描写が大胆にそして繊細に表現されていて最高。

中でも1人独房で、死んで地獄に行くのを恐れている姿は、心が惹きこまれた。

唯一心を許す母親との会話では、ここだけは悪魔のフォーチュンではなく、息子としてのフォーチュンが出ていたのが印象的で、しっかりと分けて演じられていた。

 

目が見えなくなり白く覆われた姿、劇場の引き戸の奥が丸見えになり、奥行きが見えるだだっ広い舞台、そして1つの独房。

この舞台で、堕ちた人間の最期を独りで演じるだけでなく、観客を惹き込む芝居は、なかなかお目にかかれないのではない。

 

マギー (吉岡里帆さん)

テレビドラマでおなじみの吉岡里帆さん。

双眼鏡を通して「吉岡里帆さんを生で見る」目的を達成した僕は「めっちゃ可愛らしい…..」という感情になった。

ちなみに第2幕の最初でフォーチュンと別れるので、出番は意外に少なかった。

舞台でどのような芝居をするのかが気になっていたが、テレビドラマで観る芝居とは、また違った演技を観ることができた。

狂ってしまったフォーチュンに対して軽蔑する表情が非常に良かった。

テレビドラマの出演が多い女優さんだが、また舞台の出演があれば観に行きたい。

 

ルーシー (田畑智子さん)

フォーチュンに前に現れた悪魔ルーシー役の『田畑智子』さんの芝居は、ルーシーの二面性がうまく表現されていた。

フォーチュンに親しげに「プーちゃん」と呼び、彼の懐に入り、甘い言葉でフォーチュンに願いを叶える方法があると言いつつ、契約する前にはやめられないとは言っておく感じは、まるで詐欺師か!?と思うくらい良かった。

神出鬼没で毎回服装が変わる設定も、ルーシーという悪魔を表現する良い演出となっていた。着替えが大変だったと思うが。

フォーチュンの最期の直前に出てくる場面で、フォーチュンにこれから起こる地獄を説明するのは、まさしく悪魔。

でも、その直後にお別れの言葉を言う感じはフォーチュンと会い始めた感じの甘さで、ルーシーという悪魔の二面性が緩急を持ってしっかり表現されていた。

 

まとめ

元々は「吉岡里帆さんが観たい!!」という動機で観に行った舞台だったが、作品の世界に心を惹きこまれ、鑑賞が終わったあと、純粋に「良い作品だった……」という気分になった。

森田剛さんの演技は素晴らしかったし、吉岡里帆さんもテレビで観るのとは違った感じだったので、また舞台に出演することがあれば観に行きたい。

 

スポンサーリンク