僕は「応援」という言葉が、あまり好きではない。
エンターテイナーに対して、使いたくない言葉No.1かも。
アイドルオタクを5年やって、やめてから2年経った今でも、この言葉の使い方に違和感を覚えることがある。
僕がひねくれているだけかもしれないけど。
そこで今回は「応援」という言葉の違和感を簡単に語ってみた。
僕の追っかけに対する考え方も少し書いているので、ぜひ一度読んでみてほしい。
目次
ファンのサムい「応援」
芸能人などがファンに対して言う「応援よろしくお願いします」について、僕は「応援かー。まあ単純に遊びに来て楽しんでるだけなんだけどね」という気持ちになる。別にこの発言は問題ない。
じゃあ何に違和感があるのかというと、ファンがわざわざ言う「応援」が理解しがたい。
「○○ちゃんを応援してる」
「俺が支えなきゃ」
とネタならまだいいけど、本気で言うようなファンに対して、僕は気持ち悪さを感じる。
あとはスポーツファンによくある選手批判。これも「お前は何様なんだ」と思う。
明らかに自分よりも厳しい世界で頑張っている芸能人やスポーツ選手に対して「応援してます」というのは、おかしいのでは?と僕は何年も前から疑問に思っていた。
明らかにエンターテイナーが怠慢だなと思うときは、言ってしまうかもしれない。
それに例えば、僕がYouTuberだとして、ファンの方に「応援してます」と言われたとしたら、多分嬉しいとは思う。
でもエンターテイメントを追いかける1ファンとしては、自分よりも明らかに才能があって、華々しくも厳しい世界で活躍している人に、やっぱり「応援してます」って言えない。
逆に自分は推しに「応援されている」と存在だと思う。
少なくてもオタクにとって、現場や推しは「自分を楽しませてくれる」存在である。
中には「推しが生きがい」というオタクもいる。2年前までの僕もそうだった。
自分の好きな現場や推しがいて、エンターテイメントを観て、普通に生きていたら味わえない感動を知ることができる。
まず、そのことにまず感謝すべきではないかと。
エンターテイナーの現役時代は短いのが一般的だ。
特に女性アイドルは短命で、ある日突然やめてしまうことなんかザラにある。
それなのに、義務感と惰性ばかりでオタクをするのはもったいないと僕は考える。
僕にも義務感と惰性が全くないわけではない。
義務感と惰性が自分の中の大半を占めることがよくないことだと思っている。
ファンの義務感と消費
昨今のアイドルやスポーツ選手に代表されるようなエンターテイメントは、程度の差はあるがファンを消費させる。
なにかの追っかけをしていると、AKB総選挙みたいにファンがどうしても頑張らなければいけないイベントがあることも十分理解している。
そこは勝負所だから、僕だってお金を使うし、使ったこともある。
しかし、あまりそうではないところについては、もうちょっと肩肘を張らず、気軽に楽しみに行けばいい。
毎回のようにマジになりすぎていると、どこかで追っかけを疲れてしまう。
おそらく「応援する」ことを義務感に思っているオタクは、どこかのタイミングで現場に対して楽しめなくなってしまったのではないだろうか。
現場に行くことだけが人生ではないから、冷静にここは一旦現場を離れて別の趣味を楽しんでみたりするのが良い。
それでも再び楽しめなさそうだったら、離れてしまえばいい。
批判が悪いことだとは思わないが、文句ばかり言っていると、老害オタクになってしまう。
趣味は義務ではないし、娯楽は無限に溢れている。
この記事の内容は綺麗事だし、もしかしたら僕だけの美学を語っているにすぎないかもしれない。
でも僕は惰性で現場に行くのが好きじゃない。
1つ1つの現場に対して、純粋な気持ちを持って楽しみたい。
1つ1つの現場を楽しんだ結果、芸能人やスポーツ選手などのエンターテイナーが『応援ありがとう』と感じてくれる。
そしてエンターテイナーに元気を貰った自分を『応援』して頑張ることが理想。
このような考えから、わざわざ「応援」という言葉を使うファンに対して、現場を楽しめているのかなと思ってしまう。
まとめ
「なにかのファンである自分も推しが好きである気持ちと同じくらい自分を『応援』すべき。」
某女優さんがファンに対して、上記の旨の発言をした映像を見て「やっぱりそれが一番だよね」と思った。
自分への戒めもこめて、語ってみた。
関連記事
オタクをやめたくなったとき
アイドルオタクをやめたいあなたへ
マンネリ化を感じたとき
アイドル現場にマンネリ化を感じたらオタクがやるべきこと
運営と演者がよくない場合もある
アイドルがやるとオタクのテンションが下がる行動5選